サブカルチャーの中で「セカイ系」と呼ばれるジャンルが存在する。このジャンルの定義や背景を記述していきたい。セカイ系は比較的新しい(1990年代後半に登場した)ジャンルであり、厳密な定義は存在しない。あくまでサブカルチャーの一部であり、その領域を越えることは少ない。しかし、このジャンル名が一般的に認識されるほどには、一定の特徴を持つ作品群が存在することも事実である。したがって、セカイ系の話題についてはある程度適当に接しつつも、一定の真剣さをもって考察する価値がある。
さて、セカイ系を一言で定義すると「物語の中心が、主人公の内面 > 物語の世界」という構造を持つ作品群である。物語の典型的な構造は、「設定 → 事件の発生 → 登場人物が事件に対処 → 解決(ハッピーエンドやバッドエンド)」という起承転結である。しかし、セカイ系では、この典型的な構造が崩れることが多い。具体的には、「設定 → 事件の発生」という段階まで進んだ後、物語が転や結を必ずしも追求しない。これがセカイ系の特徴であり、その転や結にこだわらない姿勢が一つのジャンルとして確立されるに至った背景である。
このジャンルを代表する作品の一つが『新世紀エヴァンゲリオン』である。このアニメでは、ロボットのような兵器に主人公のシンジが乗り込み、父親であり上司でもある碇ゲンドウの命令に従い、謎の敵と戦うという物語が描かれている。しかし、この敵の正体や戦う理由、さらには主人公が乗る兵器の本質について、物語の終盤まで明らかにされない伏線が多数張り巡らされている。そして、最終的にその多くの伏線は回収されず、物語は主人公の内面に焦点を当てた形で終わる。この点が、セカイ系の特徴を象徴していると言えるだろう。
エヴァンゲリオンが特異なのは、視聴者がこの未解決の伏線や物語の空白を自分たちで埋めようと試みたことである。オタク文化の中で、聖書や他の作品に関する知識を持ち込み、独自の解釈を展開し、結果的にエヴァンゲリオンはアニメ史に残るメガヒット作品として語り継がれることになった。人々は、魅力的で謎に満ちた作品に対して、解釈や考察を通じてその空白を埋めようとする。その結果、新しい言葉が生まれ、ジャンルとしてパッケージ化される現象が生じたのである。
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